職場で「発言したかったけどできなかった」という経験をお持ちの方は多くいらっしゃるのではないでしょうか?
- 上司の言っていることは正しくないと思ったが言えなかった
- 現状を改善する案を持っていたが、否定されるかもしれないので言わなかった
- 大勢が参加する会議でわからないことがあったが、理解していないのは自分だけかもしれないと思い、質問できなかった
- プロジェクトが大きなリスクを抱えていることは認識していたが、それを指摘すると否定的・後ろ向きだと思われるので、伝えなかった
- 仕事でミスを犯したが、上司が激怒することは明白だったので正直に言えなかった
無知だと思われたくない、無能だと思われたくない、出しゃばりだと思われたくない、否定的だと思われたくない・・・ そのような思いは人間誰しも持っています。
しかしこのような思いが、職場で自由に発言することを遮り、その結果、革新的なアイディアを阻害する、新しいことにチャレンジする気持ちを削ぐ、本来議論すべきことが見過ごされ事故や問題を引き起こすなど、様々な形で組織に悪影響を及ぼします。
この問題に対処する考え方として、近年注目されているのが「心理的安全性」です。
心理的安全性とは「自分のアイディア・質問・懸念・間違いをチームに伝えても、罰を与えられたり、恥ずかしい思いしたりしないという確信をもっている状態」のこと。つまり「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」です。
組織変革におけるチェンジマネジメントでも、心理的安全性は欠かせないものです。
なぜなら変革というのは、今までの業務とは違う新しいこと、やったことのないこと、先が明確に見えないことに対して社員にチャレンジしてもらう活動です。
心理的安全性がないと、失敗したくない、恥をかきたくないという気持ちから、現状へ固執するようになり、それが変革への抵抗につながります。また、せっかく組織をより良くする案を社員が持っていても、それが表に出てこず、組織の目標が達成できないということにもなります。
心理的安全性は、変革を成功させるための重要な土台なのです。
そこで今回は、心理的安全性とは何か、心理的安全性の効果や具体的な事例、心理的安全性を高めるための方法についてお伝えします。
Google流、チームの生産性を高める方法
心理的安全性が注目されるようになったきっかけは、2015年にGoogleが公表した社内プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)の調査結果です。
この調査の中でGoogleは、生産性の高い「効果的なチーム」の成功因子は5つあり、その中でも心理的安全性の重要性は群を抜いていて、他の4つの土台になっていると発表しました。
このことをきっかけに、「Googleが実践している生産性を高める方法」として、様々なメディアが取り上げるようになります。
しかし、心理的安全性という考え方は、けして新しい概念ではなく、古くからその重要性が認識されています。
最初にその重要性を指摘したのは、マサチューセッツ工科大学(MIT)の組織文化研究の先駆者 エドガー・シャイン教授とウォレン・ベニス教授だと言われています。彼らは1965年に出版した著書の中で「組織改革の不確実さと不安に対処できるようになるには心理的安全性が必要だ」と述べています。
さらにシャイン教授は、のちに次のように語っています。
「批評に対して神経過敏になったり『学習する不安』にぶつかったりするが、これらを克服するためには、心理的安全性が不可欠だ」「心理的安全性があれば、保身ではなく共通の目標を達成することに集中できるようになる」
共通の目的を達成することは、変革において必須。まさに心理的安全性が、変革を成功に導くための土台なのです。
心理的安全性は組織にとって必要不可欠なもの
約20年間心理的安全性の研究を行っているハーバードビジネススクールの教授、エイミー・エドモンドソンは著書のなかで、次のように述べています。
今日の組織にとって、心理的安全性は「あったほうがいいもの」ではない。無料のランチや娯楽室のような、職場で快適に過ごしてもらうために設ける従業員特典でもない。心理的安全性は、才能を引き出し、価値を創造するためになくてはならないものだ。
優秀な人材を雇うだけではもはや十分とは言えない。職場は、人々が才能を活かすことができるし、積極的に活かそうと思う、そんな場でなければならないのだ。
特に昨今の組織では、ロボティックスやAIなどで代替可能な定型業務が減り、不確実性への対処、革新的なアイディアの提案、他者・他グループとの密な協力・連携が必要になる複雑な仕事などが増えています。
心理的安全性は、組織が永続的に活動するために、なくてはならないものだと言えるでしょう。
心理的安全性の障壁:組織の沈黙
心理的安全性の一番の壁は、組織内の沈黙。つまり「沈黙は金」「言わぬが花」「口は災いの元」という考え方が広く根付いていることです。
根底にあるのは「安全第一」。組織において人は無意識のうちに対人リスクを避けます。黙っていれば安全であることは100%確信できますが、発言することで確実に成果を得られるかどうかはわからないからです。
そのため「会社で生き残りたければ、調和を乱さないこと」という暗黙の了解が多くの企業で存在します。
しかし、沈黙を貫けば、イノベーティブなアイディアは生まれず、非効率な作業は改善されず、組織のミスは見過ごされて、大きなマイナスとなります。
そして、このマイナスは沈黙を守った個人に直接跳ね返ってくるわけではない。組織に跳ね返ってきます。最悪の場合、取り返しのつかないような大惨事や不正問題に発展する可能性があるのです。
例えば、福島第一原発の事故。日本だけでなく世界に大きな影響を与えたこの事故は、組織の沈黙が作り出した人災と言われています。
心理的安全性があれば防げた事故:福島第一原発
組織の沈黙が大惨事を招いた東京電力
2011年3月11日、東日本大震災により、高さ15メートルを超える津波が福島第一原発を襲いました。巨大な波は発電所の防波堤を超え、施設に浸水し、非常用発電機、冷却用海水ポンプなどを破壊。メルトダウンが発生し、極めて深刻な事故を引き起こしました。
福島第一原発は、最大の波の高さの想定5.7メートルで設計されていました。この想定に対して2002年から事故の直前まで、複数の専門家や社内の調査チームが、想定以上の津波が来る可能性、事故の可能性を指摘し、安全対策を勧告していました。しかし勧告はことごとくはねのけられます。
例えば2008年3月には、東京電力内の調査で最大で「15.7メートル」の津波が来る可能性があることが報告されていました。しかしこの段階で、 経済産業省 原子力安全・保安院(保安院。原子力に関わる安全を守るための組織)にこの計算結果が報告されることはなく、初めて保安院に伝えられたのは、東日本大震災の4日前、2011年3月7日でした。
そして、福島第一原発は対策が打たれることがないまま、3.11を迎えたのです。
2012年、国会の事故調査委員会は、東京電力や保安院などの規制官庁が「意図的な先送りを行った」と踏み込み「何度も事前に対策を立てるチャンスがあった。事故は自然災害ではなく明らかに人災」と報告しています。
なぜ対策が打たれなかったのでしょうか?
事故調査委員会は、東京電力は、新たな調査結果を受け入れることで、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱き、それを回避したいという動機があったと報告しています。
また本来国民の安全を守る立場である規制当局も、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力を推進する経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的でした。
「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が関係者のなかで共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるようになっていたのです。
東京電力の元幹部は次のように発言しています。
「(津波対策は)お金をかけないでできたはずです。悪かったのは防潮堤ができなかったことじゃないし、津波の評価だっていろいろあったが、可能性として、当時から見れば、100%じゃないかもしれないけど、そういうことが言われているなら、せいぜい数億円だから非常時の対策をやっとこうと誰も言わなかった。それがやっぱり風土とか文化の問題で、問題はそこなんじゃないかと思います」と。
まさに、「組織の沈黙」が大惨事を招いたと言えるでしょう。
心理的安全性により未然に事故を回避:日本原子力発電
一方、直前の津波対策で事故を回避した電力会社がありました。茨城県と福井県に原発をもつ原子力の専業会社「日本原子力発電(日本原電)」です。東京電力が津波対策に後ろ向きになる中、日本原電は独自に津波対策を進めていました。
2008年、日本原電の社内調査で、従来の想定の倍以上となる12.2メートル(日立港の海面を基準にした数値)の津波が来る可能性が浮上しました。
この結果を受け、日本原電内部の耐震タスクチームが津波対策に動き出します。
耐震タスクは、2006年に発足したチームで、地震や津波の新知見に対応するため、社内のさまざまなグループの代表者で構成される組織横断的な部隊でした。各グループの情報は耐震タスクに集約され、対応を検討。結果を各グループに持ち帰っては、共有・検討を繰り返す中でさまざまなアイディアが出ていたといいます。
一般的に原発では、津波の流入を防ぐのであれば、防潮堤などを建設することが考えられますが、当時、日本原電では、大がかりな工事を行うには巨額の費用と長期間の工期が必要でいつ実行できるか不透明なため、まずはできる対策を取ろうと、防潮堤ではなく、短期間で安価にできる盛り土と、建屋の防水という複合的な対策案をまとめます。そして2009年に対策を講じ、2011年の東日本大震災に間に合ったのです。
東京電力ができなかった「英断」が、なぜ日本原電にできたのか。
対策を検討した日本原電社員はこう語ります。
「長期評価などをもとに、津波が来るだろうというリスクは社内で共有されていたと思う。まずはできる対策を取っていき、大規模な工事は今後、順次やっていけばよいという考えだった」
「日本原電は原子力専業の会社であり、他の電力会社と比べて規模が小さかったため、担当者レベルで密に情報交換ができた」
社内で密に情報交換できる風土があったからこそ、できることからはじめようというアイディアが受け入れられ、タイムリーにリスク対策を打つことができたのです。
どのように心理的安全性を高めるのか
このように、企業の生産性だけでなく、人々の安心・安全にも大きく寄与する心理的安全性。どのようにすれば高めることができるのでしょうか?
エドモンドソン教授は、明日から職場で実行できることとして、次の3つのアクションを推奨しています。
仕事をフレーミングする
フレーミングとは、簡単にいうと思い込みのことです。人間は、無意識のうちにフレーミングを行います。例えば失敗を能力不足のせいと思い込んでいると、失敗を隠したいという気持ちが働きます。しかし、そもそも仕事というのは複雑で先が見えないものだから、失敗は当然起こりうることであり、その失敗を仲間に共有し更なる失敗を防ぐことで、大惨事を防ぐことができるというように捉えることよって、失敗を話しやすくする環境を作り出すことができるのです。
そのため、職場において「我々の仕事には多くの不確実性や、相互依存があること、これまで経験していないことにチャレンジするので何が起こるかわからない」という事を伝えることで、失敗は当たり前のことで、共有すべきことであるというフレームが生まれます。
あなた自身も間違いを起こす可能性を伝える
あなた自身も間違いを起こす可能性があることを伝えることが大切です。
「私もミスするかもしれない。だからあなたの話を聞きたい」
相手にそう伝えることで、心理的安全が高まります。
好奇心を作り出す
質問をたくさん投げかけるも効果的です。自然と相手が意見を言わざるを得ない状況になり、また質問をたくさんしてもいいのだという空気を作り出すことができます。
心理的安全性だけではチームの生産性は高まらない
心理的安全性は、組織の土台となる重要な要素ですが、実は心理的安全性を高めるだけでは効果的なチームを作ることはできません。
エドモンドソン教授は「心理的安全性だけでは、居心地のいい環境を作るだけで、お金を無駄にしていると言える。チームが高いパフォーマンスを出すためには、アカウンタビリティ(高い基準を達成する責任)という側面が必要になる」と述べています。
もし、心理的安全性がなくお互いが話し合うことができない組織で、高い基準を達成することのみを求められるのであれば、人は不安になりパフォーマンスを上げることは難しいでしょう。
しかし、心理的安全性が高く、高い基準が求められる場合は、チーム同士が学び高い生産性を生みだすチームになるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
仕事において、全く不確実性がなく、複数の組織・メンバーと連携も発生しないのであれば、心理的安全性は必須ではありません。
しかし、仕事において、不確実性・複雑性、他者との相互依存があるのであれば、チームが自分らしくいられること、思ったことを発言できる風土が必要になります。
ご参考になれば幸いです。
参考
- The Google re:Work team, re:Work Guide: Understand team effectiveness
- Edgar H. Schein, Warren G. Bennis(1965) Personal and Organizational Change, John Wiley & Sons Ltd
- 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(2012)福島第一原発事故報告書
- NHKスペシャル『メルトダウン』取材班(2021)津波対策は不可能だったのか
- エイミー・C・エドモンドソン(2021)恐れのない組織 英治出版
- Amy Edmondson, Building a psychologically safe workplace, TEDx HGSE April 12, 2014