背景

国内外に複数の関連子会社を持つ企業A社は、グループ全体の基幹システムとしてERPシステムの導入を決定しました。(※ERPシステム=会計、販売、購買、在庫、生産等の経営資源を一元管理し、経営に活かすことを目的としたシステム)
これまでは、本社および各関連小会社でそれぞれ異なるERPまたは業務システムを使用しており、売上計上のタイミングなどの業務プロセスや、在庫の定義、勘定科目の定義、データのコード体系などがバラバラだったため、本社では、経営判断に使用する各社からの情報収集やデータ調整・分析は、エクセルを使ってマニュアルで行っていました。

これにより、データの確認・調整作業に時間や工数がとられる、手作業のミスが発生するリスクがある、経営判断に必要な情報がタイムリーに出せない、などの課題を抱えていました。

マニュアル作業で疲れている社員

さらにITの観点からもいくつか課題がありました。既存のERPシステムは、これまでユーザーの要件に合わせてカスタマイズしていたため複雑になりすぎてしまい、システム保守に多大な工数がとられていました。更にシステムのバージョンアップの際には、その複雑さゆえに、バージョンアップによる影響を調べるテスト等に多大な費用が必要になることも問題でした。異なるシステムの保守を行うために、異なるテクノロジーの専門要員を確保する必要があることも、ITコストを大きくしていたため、システムを統一し、システム保守を1か所で担えるようにすることが効率化の面で必要でした。

これらの課題を解決し、全社的な業務効率化と経営判断の迅速化を図るため、同社は全グループで統一のERPシステムを導入するためのプロジェクトを発足しました。

課題

全社でERP導入に際して、次のような課題がありました。

標準プロセスの定義

関連会社の中には数百、数千名規模の規模の大きい会社もあれば、数十名規模の小規模の会社も存在しました。また顧客や取引先のニーズ、各国の法令も異なるため、何を標準プロセスとするか、どこまで各社独自のプロセス・ルールを許容するのか、そのガイドラインの策定が難航することが予想されました。

過去のプロジェクトの失敗

A社では、過去にも標準化を目指して、ERPシステム導入を行い、うまくいかなかったケースがありました。その経験から、社員の間には「今回もまた失敗するのではないか」という不安やあきらめが広がっていました。

現場(システムユーザー)の不安・懸念

現行の現場のマニュアル作業は、彼らの業務改善の結果だったため、現状業務を自分たちのベストプラクティスと考えていました。そのため、標準プロセス・システム導入で自分たちの業務が非効率になるのではないか、自分たちの思うように業務設計ができなくなるのではないかと不安を感じていました。更に、多くの社員は多忙だったため、定常業務以外のプロジェクトの仕事が振りかかることに対しても懸念を感じていました。

チェンジマネジメントの主なアプローチ

上記のような課題に対処するために、同社はチェンジマネジメントチームをプロジェクトチーム内に組み込み、体系的にチェンジマネジメントを行うことにしました。

主に行ったチェンジマネジメントは以下の通りです。

リスク分析&対策

リスク分析

プロジェクト開始前に、チェンジインパクト分析、組織変革力診断などを行い、人の課題へのリスクを洗い出し、リスク軽減策、発生したときの対処などを事前に検討しました。
この結果、当初想定していたビックバン型(一気に変える)のアプローチでは、リスクが高すぎることが判明。分析データを使って客観的な視点で人のリスクを可視化できたことで、プロジェクト責任者(プロジェクトスポンサー)が納得する形で、リスクを下げる段階型のアプローチを選択しました。
具体的には、プロセスがあまり複雑でなく難易度が低い関連会社への導入を最初の「パイロット」プロジェクトとし、そのプロジェクトから学びを得るというスタンスで推進。小さく始めること、失敗を恐れず、完璧を求めず進めることを指針としました。
全社レベルのプロセス標準化の活動では、全社のプロセスを調べた上で、標準を決め、その標準を全展開するというアプローチもありますが、このアプローチだと、標準プロセスのデザインにかなりの時間と労力がとられ、関係者が「小さな成功」や「前に進んでいる感覚」が得づらいというデメリットがあるため、段階的にアジャイルに進めながら、着実に前に進んでいる感覚を得られるようにしました。

リーダーの巻き込み

ERP導入プロジェクトの成功には、経営層、中間層のマネジメントの積極的な関与が欠かせません。本プロジェクトでは、どのようにマネジメント層に前向きに関わってもらい、現場にメッセージを発信してもらうかを施策の肝と捉えました。

そのため、プロジェクト責任者(プロジェクトスポンサー)にプロジェクトで担ってもらいたい役割を明確にし、それを実施するために必要なアクションをあらかじめ準備しました。
更に、中間層のマネジメントには、ワークショップを実施。ERPシステム導入の目的・方向性を共有したうえで、それが各部にとってどのような意味があるのか、今回の導入で何がどう変わるのか、どのような施策が必要なのか、どのようなメッセージを部下に発信すべきかを明らかにしてもらい、チェンジの道筋をデザインしてもらうよう促しました。トップ~ミドル層の足並みがそろい、一貫したメッセージを伝えることができ、かつ目指す姿への道筋が明らかになったため、現場の安心感を醸成することができました。

更にマネジメントと定期的にミーティングを行い、進捗状況や課題を共有。各マネジメントの懸念事項、課題などを聴き、1つのチームとして進めるために必要なことを共に考えるという体制を構築しました。
これらの施策により、マネジメントの変革リーダーとしての意識が高まり、自ら推進する姿勢が定着しました。

コミュニケーション&エンゲージメント

システム導入の影響を受ける人たち(ステークホルダー)がシステム導入を自分事と捉え、前向きに進んでもらえるよう、戦略的にコミュニケーション&エンゲージメント計画を設計しました。

ステークホルダーグループ毎のコミュニケーション計画:

全員一斉型のメッセージだと、各ステークホルダーは、「自分の業務がどう変わるのか、自分は何をしなければいけないのか」がわかりづらくなります。
そのため、ステークホルダー分析を行い、各ステークホルダーグループ(部署毎、マネジメント層、現場等)ごとに、異なるコミュニケーション計画を立て、コミュニケーションの受け手が、知りたいこと、知るべきことを、タイムリーに、相手に伝わる形で伝えることを徹底しました。

双方向コミュニケーション:
双方向コミュニケーションでチェンジマネジメント

プロジェクト側からの一方通行のメッセージでは、ステークホルダーの自分事意識が醸成しづらいため、双方向コミュニケーションの機会をできるだけつくるようにしました。
具体的には、ステークホルダーからのフィードバックを定期的に収集する、Q&Aの機会を設けるなどを行いました。更に、キーとなるステークホルダーに関しては、定期的に直接話を聴く機会を設け、不安や不満がないか、現場の課題はないかを聴き、共に進めているということを感じてもらえるよう工夫しました。

共同デザイン

今回の導入の最重要ポイントは、現場が適応できる全社標準プロセスを導入することでした。そのためには、各社の業務・プロセスを理解したうえで定義していく必要があります。
今回A社では、先に述べた通り、段階的なアプローチを選択しました。段階的に関連会社に導入していき、標準プロセスのバージョンアップを図るというやり方です。
標準プロセスは、本社が作ったものを押し付けることになると抵抗が発生するので、それを避けるために、導入する子会社の担当と、その段階の標準プロセスをベースにデザインワークショップを実施。彼ら自身が当事者としてプロセスをデザインする機会を作りました。
更にその際に他の子会社がどのように業務を行っているのかを共有。子会社間でグッドプラクティスを共有することで、現行プロセスへ固執する気持ちが和らぎ、「よりよくするためには」という視点が生まれました。
チェンジマネジメントのポイントは、関係者を巻き込みながらデザインをすること、ガイドラインは提示しながらも、各担当者自身である人たちによりよいプロセスに気づいてもらうことを意識して対策を打ちました。更に、小さな成功をできるだけ早く作る、そしてそれを積み重ねるということを意識し、やる気がとぎれないように工夫しました。

チェンジエージェントの活用

チェンジエージェントをチェンジマネジメントに活用

今回大きなプロセス・システム変更になるため、ユーザーにシステムのトレーニングを受けてもらうだけでは十分でないと判断し、スーパーユーザー(システム操作に慣れているユーザー、リーダー的なユーザー)が、他のユーザーをサポートするチェンジエージェント(チェンジの伝道師)の仕組みを活用しました。
各社、各部門でチェンジエージェントになってもらう人を選び、その人たちが伝道師として、現場の人たちが新しいプロセス・システムに慣れるまでサポートするという体制をとったのです。
このサポートは、会社を超えて行われました。例えば、前のプロジェクトでユーザーとしてシステム導入を経験した人が、別の子会社のユーザーをチェンジエージェントとしてサポートするのです。経験者によるサポートは、ユーザーにとって不安や懸念を取り除くことになり、知識の習得が促進されました。また、チェンジエージェントにとっても、他社の人たちと交流し、他社の業務を学ぶということは、自身のキャリアの広がりをつくる施策だったので、チェンジエージェント制は、非常に効果的に機能しました。

前回のプロジェクトとの違いを示す

過去の失敗プロジェクトでは得た学びを踏まえて、どのような対策を行っているのか、どのように今までとのアプローチと違うのかを明確に打ち出すことで、安心感を与えました。
また、関係者には定期的に進捗を報告する、主要マイルストーンでは、ここまで達成したことをお祝いする機会を設け、着実に前に進んでいる感覚を共有しました。

導入効果

この企業では、あらかじめ洗い出したリスクに対する対策を打ちながら、チェンジマネジメントを実践したことにより、全社に標準プロセス・システム導入を行うことができました。

主な効果は以下の通りです。

データの一元化・標準プロセス導入

本導入により、基本となるプロセス、データの定義、マスターデータのコード体系が統一されたため、以前のようにデータミスマッチやイレギュラーデータの確認作業がかなり少なくなりました。また手作業でデータを集約するということが基本なくなったため、ミスによるリスクが大幅に少なくなり、かつ、経営判断に必要な情報をより短い時間で提供できるようになりました。

グループ会社間の交流

ERP導入を通じで、グループ会社間で情報共有、ナレッジ共有を行う土台ができました。システム導入後も、定期的に、勉強会、ベストプラクティスの共有、業務改善活動を実施。更なるプロセス改善につながっています。
更に、グループ会社での視点で考える機会が増えたことで、自分たちの業務をより俯瞰して考えるようになるという効果も生まれました。

いかがでしたでしょうか? 皆様のご参考になれば幸いです。

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