プロセス変更、システム変更など、組織のなかで何かしらの変化が発生すると、多かれ少なかれ一時的に従業員の生産性は低下します。なぜなら新しいことに慣れるには時間が必要だからです。
この生産性の低下を「生産性の谷」と呼びます。チェンジマネジメントでは、この谷をできるだけ浅くし、目標の生産性にできるだけ早く達するために、チェンジの導入を企画・計画する段階で、チェンジマネジメントを計画・実施することを勧めています。
「対応が後ろになればなるほど、できることが少なくなるので、選択肢が多い初期の段階から対処してください」と。
しかし実際には、チェンジマネジメントを過去に学んだ方や企業様であっても、初期の段階ではチェンジマネジメントにあまり注力されず、チェンジ導入直前やチェンジ導入後、大きな「人に関連する問題」が発生してから「チェンジマネジメントが必要だ」と気づかれ、当協会にご相談に来られるケースが少なくありません。
このようなタイミングでご相談をいただくたび、「もっと早くご相談してくだされば、ここまで大きな問題にはならなかったのに・・・」と思わず考えてしまいます。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
楽観主義バイアスがリスクを見誤らせる
チェンジマネジメントの難しさは、やらないことのリスクが見えづらいことです。
プロセスのデザインをしなければプロセス変更はできませんし、システム構築をしなければシステム導入はできません。したがって、このようなやらないことのリスクが目に見えてわかる場合は、人々は優先的に対処します。
しかし、人のチェンジの受け入れ状況は見えづらい。適切にコミュニケーションを行わなかった場合や主要関係者を巻き込まなかった場合のリスクは初期段階では見えづらく、特に日々業務に追われていると、優先度が下がってしまいます。
さらに、人間は本来、リスクに対して楽観的な傾向があると言われています。脳神経学者のターリ・シャーロットの研究によれば、80%の人々は楽観主義バイアスを持っているそうです。楽観主義バイアスとは、好ましい出来事の発生確率を過大評価し、逆に好ましくない出来事の発生確率を過小評価する傾向のことです。
結婚を例に取ると、離婚率が約35%であるにもかかわらず、新婚の人は自身の離婚の可能性を0%と推定する傾向があります。実際に離婚を専門とする弁護士でさえも自身の離婚確率を過小評価するそうです。
この楽観主義バイアスは、変革を導入する際にも影響を及ぼします。変革を何度も経験している人々でさえ、変革の成功率を過大評価し、チェンジマネジメントによるリスク軽減対策の優先度を下げがちです。その結果、主要関係者の巻き込みやコミュニケーション、トレーニングなど、チェンジを導入する際に押さえておくべきことが十分に対処できていないということが起こりうるのです。
チェンジ導入後に混乱が発生したときのチェンジマネジメント
チェンジマネジメントはできるだけ早い段階から実施すべきことではありますが、導入後に想定外の問題が発生し混乱している状態であっても、できることはたくさんあります。
ここでは、その中でも特に重要なポイントを3つお伝えします。
具体的な行動を提示する
人間は選択肢が多いと疲弊します。選択肢が増えると、選択をするという意思決定にエネルギーを消費するため、脳が負荷を感じるからです。たくさんの選択肢を提示されると、脳はフリーズし、適切な意思決定ができなくなります。
人々が現状を心地よく安定していると感じるのは、多くの選択肢が排除されているからです。
チェンジの導入直後、計画通りにいかず混乱が生じたときには、想定外の選択肢が増え、意思決定を迫られます。この選択肢は不確かさをもたらし、不安などの不快な感情をもたらします。
この状況を乗り越えるためには、選択肢をできるだけ少なくすることです。
混乱期には多くのことに取り組む必要があると思いますが、まずはじめに取り組むべきことを明確にします。欲張りすぎず、まずは自分たちのキャパシティで取り組めること、数あるタスクの中でも、最も早く効果が出そうなものにフォーカスし、それを達成するために具体的な行動を明らかにします。
様々な選択を行わなくてもいい状況を作り出し、問題解決にエネルギーを注げる状況を作ります。
進捗状況を可視化する
導入後の混乱の中、出口が見えないと人は不安を感じ、自信を失います。やる気を維持するためには、前に進んでいる感覚を与え、自信をつけてもらう必要があります。このまま前に進んでていいのだと感じさせる必要があるのです。
そのためには、アクションひとつひとつを達成しやすい単位で細かくすること、そして、活動の進捗状況を共有し、前に進んでいる感覚、状況がより良くなっている感覚を感じてもらえるようにすることが不可欠です。
WHYを伝える
チェンジの導入がうまくいかず、課題対応に追われたり、慣れないプロセスやシステムで、今までのようにスムーズに業務が進められない状況が続くと、従業員は疲弊します。「なぜこんな変革をしたのだろう」「なぜ私がこんなつらい思いをしなければいけないのだろう」そんな想いが頭をよぎるようになるのです。
このようなときに重要なのは、WHYを伝えること。「WHY」とは、信念や価値観、目的を表すものです。
リーダーシップ理論で有名な「WHYから始めよ」の著者、サイモン・シネックは、多くの人や組織は「WHAT(何をするか)」や「HOW(どのようにするか)」に焦点を当てがちだが、最も重要なのは「WHY(なぜするのか)」だと述べています。
彼は、スティーブ・ジョブズやマーティン・ルーサー・キング牧師などの優れたリーダーは「WHY」、つまり彼らの価値観や目的、信じていることを伝えることで、その想いに共感する人たちが引き寄せられるのだと述べています。
マーティン・ルーサー・キング牧師が「I have a dream(私には夢がある)」と伝えたからこそ、多くの人たちが心打たれ、ムーブメントが起こりましたが、「I have a plan(私には計画がある)」と言っていたら、状況は全く違っていたでしょう。
変革後の混乱期、思うように進まず、不安、不満、諦めなどの感情が出てくるこのタイミング、どうしても目の前の課題を解決することばかりに注力しがちですが、こんなときこそ改めてWHYを伝えるということが不可欠なのです。
まとめ
変革導入後、想定通りにチェンジが導入できず混乱が発生している場合においても、できるチェンジマネジメント施策はたくさんあります。
具体的な行動を明確に提示し、進捗状況を可視化することで前に進んでいる感覚を与え、最も重要なのは、なぜこの変革を行うのか、成功させる必要があるのかを伝えることです。
皆様の参考になれば幸いです。
参考
- サイモン シネック(2014), 優れたリーダーはどうやって行動を促すか, TEDxPuget Sound
- ターリ・シャーロット(2012), 楽観主義バイアス, TED2012