企業を取り巻く環境は日々変化しています。進化生物学の観点からいうと、生物は変わり続ける環境に適応できないと生き残ることができません。ビジネスの世界でも同じことが言えます。
そのため、チェンジマネジメントの枠組みに沿って組織の立て直しを行うときに、最初に行うべきことは、
- 取り巻く環境を理解し、
- 環境に合わせて戦略をたて、
- 戦略に沿って組織設計する、です。
今回、ご紹介する事例はアメリカの地方紙NYタイムズのチェンジマネジメント。
170年の歴史を誇るNYタイムズは、元々ニューヨーカーが読む新聞。発行部数はピーク時でも110万部という小規模の地方紙でした。
そんな同紙がデジタルトランスフォーメーション(DX)を行い、他紙に先駆けて有料デジタル購読者数525万人(2021年5月時点)を達成したのです。日本で最も成功している日本経済新聞社の電子版有料会員数が76万人(2021年1月時点)なので約7倍。この数字がいかに突出しているかがわかります。
このデジタルトランスフォーメーション(DX)を率いたのは、英BBC出身のマーク・トンプソン前CEO(2020年9月に退任)。彼は、取り巻く環境の変化をいち早く分析し、デジタル時代で生き残るための戦略をたて、戦略にあわせて組織を再編。見事チェンジマネジメントを成功させました。
デジタルビジネスの頭打ちから始まった改革
トンプソン氏が就任した2012年、NYタイムズは大きな問題に直面していました。デジタル購読者数の増加が突然減少し始めたのです。2012年の第4四半期の増加数は74,000人だったのが、2013年の第2四半期には22,000人程度に減少。
この頃NYタイムズには4つの収益の柱がありましたが、新聞ビジネスは基本的に停滞していて、印刷広告ビジネスは落ち込み、デジタル広告ビジネスは停滞する直前。唯一の望みだったデジタルビジネスの購読者数が頭打ちになっている。非常に悪い状態でした。
取り巻く環境を知る
「どのようにすれば我々が他社に先駆けて高品質のニュースプロバイダーになれるのか。どうすれば顧客がデジタルにお金を払おうと思うのか」
その問いの答えを見つけるために、トンプソン氏と彼のチームが最初に行ったのは環境のリサーチ。そこからわかったことは、「高品質のコンテンツにお金を払う」という新たな習慣をNetflixやSpotifyなどがユーザーに定着させていること、またスマートフォン上で簡単にそれを実現させているということでした。しかし、世の中を見渡すとそのような新しい習慣化は始まったばかりでした。
トンプソン氏はそこにチャンスを見出します。
スマートフォン中心にコンテンツをつくる
トンプソン氏がNYタイムズのCEOに就任したとき、新聞社全体が「紙」の新聞中心に構成されていました。デジタルコンテンツは、印刷のニュース編集室に所属する少数のデジタル担当が紙の新聞をベースに作っていたのです。
「私のしたかったのは真逆だった」とトンプソン氏は語ります。
「まず高品質のスマートフォン向けニュースをつくり、それをベースにウェブサイトをつくり、そしてそのウェブサイトから『紙』の新聞をつくる」
彼はNYタイムズのビジネスを「紙」の新聞社がデジタルもやっているとはとらえませんでした。NYタイムズは紙の新聞というプラットフォーム、ウェブのプラットフォーム、スマートフォンのプラットフォームという複数のプラットフォームを持っていると考えたのです。
「新聞は多くのキャッシュフローをもたらしている。しかし、生き残れるのはおそらく2030年までだろう」
変わりゆく環境を生き抜くには、紙の新聞中心という社員のマインドや組織を変える必要がありました。
サブスクリプションファーストカンパニー
トンプソン氏は、サブスクリプションビジネスこそ、もっとも力を入れるべき領域だと考えました。
「『1千万人のサブスクリプションユーザーがいるとはどのような状態だろうか。なぜ我々は2千万人、3千万人を目指さないのか』というと、多くの人は私のことを笑い、こう言った。『そんなことはできない。それは新聞業界のやり方ではない。全盛期であってもそんなことはしていない』」とトンプソン氏は当時を振り返ります。
それでもサブスクリプションビジネスには未来があると考え、トンプソン氏は「サブスクリプションファーストカンパニー」を掲げます。NYタイムズが提供するコンテンツが、顧客の日々の習慣の一部になること、それが彼の狙いでした。
「アイディアを出し、やってみて、改善する」を繰り返す
顧客にお金を払ってもらえるようなコンテンツを提供するため、NYタイムズは様々な新しいコンテンツを生みだします。
ニュース中心だったコンテンツに、日々のライフスタイルのセクションを追加し、不動産、カルチャー、エンターテインメント、フード、レストランなどの情報を発信するようになりました。
また、レシピサイトのNYT Cookingや製品レビューサイトのWirecutterなど独自のサイトを作り上げ成功させます。
心がけたのは、とにかくアイディアを出し、試してみて、改善していくというやり方を浸透させること。失敗を恐れず挑戦し、成功・失敗に関わらずその成果を次につなげる。それを繰り返すことを大切にしました。
トンプソン氏はこう言います。
「2018年後半までは、デジタルはうまくいっていなかった。私は3回デジタルを再編成し失敗した。メレディス(元COO、現CEO)は2回失敗した。そしてやっとうまくいくようになったんだ」
デジタルの時代に必要なのは学べる人
顧客の購買行動も市場競争の状況もめまぐるしく変わる。そのような環境下において、重要なのは、適応力と柔軟性だとトンプソン氏は考えました。
「これまでの多くのリーダーは、1つのことで卓越(Great)していたためリーダーになった。今のデジタルの時代に必要なのは、1つのことが得意(Good)で、何かほかのものを学べる人材だ」
失敗を恐れず挑戦し、経験から学ぶことができる組織を作るため、外部から積極的に人を採用し、変化に柔軟な内部の人材を昇進させます。
さらに、デジタル化を推進するためには、部門を超えた横断的な連携が必要と考え、デジタル化を推進する体制を見直しました。
それまでNYタイムズの組織は縦割りで、部門ごとに異なるルール・基準がありサイロ化していました。プロジェクトのために各部門から人を集めても、皆の基準が異なるため、一枚岩になって問題を解決することができない。サイロは変革の足かせになっていました。
そのため、マトリックス型の体制にシフトします。チームリーダーには、20代後半~30代前半の若手を抜擢。担当領域に対して意思決定ができる権限を彼らに持たせました。上層部の顔色をうかがうことなく自分たちで意思決定をして物事を進めることができたので、彼らは試して学びながらコンテンツサービスを作り上げてることができたのです。
グローバルのためのローカル
デジタル化で大きな成功を収めたNYタイムズは、2019年に「2025年までに有料購読者数1000万人」という目標を掲げます。
これまでのNYタイムズのターゲットは、50代以上の大卒の白人、生粋の民主主義者でアッパーウエストサイド(NYマンハッタンの高所得者向けの住宅街)に住んでいて、NYタイムズを読んで大人になった層でした。しかし、この顧客セグメントは非常に狭く、大きな目標を達成できません。
今のNYタイムズは、アメリカだけでなく世界を視野に入れています。
世界中にいる大卒で、英語が堪能、グローバルレベルで何が起こっているのか、何が米国で起こっているのか、西洋文化で何が起こっているのか知りたい人たちがターゲットです。
今後、収入レベルが異なる人たち、異なる文化的背景がある人たちなどを、どのように引き付けることができるのか、エンゲージメントを深め、広げるには、どうすべきなのか、NYタイムズは、新たな挑戦に取り組んでいます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
トンプソン氏は、スマートフォンを中心としたユーザーの行動、サブスクリプションビジネスの台頭という環境の変化を早い段階で読み取り、その環境に合わせてスマートフォン向けのコンテンツ配信やサブスクリプションビジネスの強化、「試して改善する」というアジャイル(俊敏)アプローチを戦略として採用。そして、そのような柔軟性が求められる戦略に対応できる組織を作り上げ、デジタルシフトを成功させました。
組織の立て直しを行う際、ぜひ参考にしていただければ幸いです。
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参考
- New York Times’ digital revenue tops print for first time in ‘watershed moment,’ CEO says, CNBC AUG 5 2020
- Building a digital New York Times: CEO Mark Thompson, McKinsey & Company August 2020
- 日本経済新聞「メディアのDX「投資惜しまず」NYタイムズ前CEOインタビュー」2021年5月9日朝刊