チェンジマネジメントという分野が確立したのは1990年代ですが、そのルーツは古く、1950年代にまで遡ると言われています。その歴史を、1990年代以前、1990年代、2000年以降の3つの時代に分けてご説明します。

1990年代以前

1990年代以前は、人がどのように変化を受け入れるのか、どのようにすれば変化への抵抗を和らげられるのかという人間の変化への特性に関する研究・調査が進んだ時代です。今の時代においても参照される当時の代表的な理論をご紹介します。

レスター・コーチ&ジョン・フレンチ

第二次世界大戦中、戦の状況に合わせて軍隊を移動させ、初めての環境・状況でも兵士にパフォーマンスを出してもらう必要があったため、「変化が人にもたらす影響」に関する研究が進みました。1948年、心理学者のレスター・コーチとジョン・フレンチは、「人の変化への抵抗」に着目し、従業員が新しいツールやプロセスのトレーニングを受けても、モチベーションの問題で変革が思うように進まず生産性が上がらないことを指摘しました。彼らは変革において「抵抗」に対処することの重要性を説き、その抵抗を抑えるためには、経営層が変革の重要性を従業員にコミュニケーションすることや変革の計画策定に従業員を参画させ巻き込むことが必要であると結論付けています。

クルト・レヴィン

「社会心理学の父」と呼ばれるクルト・レヴィンは、1940年代、グループ、組織、社会などあらゆる集団を変化させるために必要なプロセス「3段階のモデル(解凍―移動―凍結)」を考案しました。このモデルは、以下のステップで構成されています。

  • 凍結解除 (unfreezing) : 感情の揺さぶりを起こし変わらなければいけないと感じさせる
  • 移動(Moving):古い水準から新しい水準へ移行する
  • 再凍結(Freezing):一度変わったものが元に戻らないように定着化させる

彼は、このステップを組織変革に限定したわけではありませんが、彼の死後、他の研究者がこのステップをモデル化・再解釈し、今では、組織変革のモデルとして認識されています。

世の中のほぼすべてのチェンジマネジメントモデルが彼の3段階モデルを参照しているとも言われるほど、彼の功績はチェンジマネジメントに多大なる影響を与えています。

エヴェリット・ロジャース

上記のレヴィンの「3段階のモデル」は、コミュニケーション学者/社会学者のエヴェリット・ロジャースの「普及プロセス」の提唱につながります。ロジャースはイノベーター理論の提唱者です。彼は、新しいアイデアや技術が採用される過程において、アーリーアダプター(初期の段階で変化を受け入れる人)やチェンジチャンピオン(変化を推進する人)について言及しました。また彼は、5つのステップ(気づき、興味、評価、試み、適応)のチェンジマネジメントモデルを生み出しました。このモデルは、今日多くのチェンジマネジメント実践者によって活用されています。

リチャード・ベックハード

組織理論家・MITの非常勤教授であり、組織開発の分野のパイオニアであるリチャード・ベックハードは、1969年、組織開発とは「計画的で、組織全体を対象にした、トップによって管理された、組織の効果性と健全さの向上のための努力であり、行動科学の知識を用いて組織プロセスに計画的に介入することで実現される」と定義しました。

また彼は、デイビッド・グライヒャーと共に、「変革の公式」を開発しました。この公式は、1. 現状に対する不満、2. 将来のビジョン、3. あるべき姿を実現するためのアクションの実現性の高さの3つの要素の掛け算が、組織内の変革への抵抗よりも大きい場合は、変革が実現するという定義で、組織変革が成功するか否かの評価モデルになっています。

キューブラー・ロス

1960-70年代、チェンジマネジメントの流れは、人間尊重のアプローチ(ヒューマニスティックなアプローチ)に進化しました。これは、終末期研究の先駆者である精神科医のキューブラー・ロスの貢献が大きいと言えます。彼女は、末期患者が「死に対する悲しみを受け入れるプロセス」に特有のパターンがあることに気づき、その深い悲しみを受け入れるプロセスを5段階のモデル(否認、怒り、取引、抑うつ、受容)で示しました。彼女はこのプロセスが、従業員が変革を受け入れるときのプロセスと類似していると言及しています。

組織変革において、従業員が必ずこの5段階を経験するとは言えませんが、チェンジマネジメントにおいて、このキューブラー・ロスモデルは非常に重要です。なぜならば、このモデルが、現在多くのチェンジマネジメントフレームワークで使われている「チェンジカーブ」モデルのきっかけとなったからです。彼女の研究は、組織変革において、「人」に焦点を当てて、アプローチすることが重要であるという考えを定着させました。

ウィリアム・ブリッジズ

米国の組織コンサルタントであるウィリアム・ブリッジズは、1979年、トランジション(移行)の理解が組織変革を成功に導く鍵であると「トランジション理論」を提唱しました。トランジションは変化に適用するための心理的な過程で、1. 何かが終わる、2. ニュートラルゾーン、3. 新たな何かが始まるの3段階で構成され、それぞれの段階を乗り越える方法を提示しました。

ワーナー・バーク・ジョージ・リトウィン

1980年代、組織開発の重鎮ワーナー・バークとジョージ・リトウィンは、キューブラー・ロスとは違う角度から「チェンジ」を捉えました。「個人」に着目するのではなく、組織(組織のミッション、リーダーシップ、外的環境、制度など12の組織の要素)やそれらが変革の成功に与える影響という側面から変革を分析したのです。彼らは、個人のチェンジプロセスに固執しすぎるのではなく、組織の中の人間的側面と、戦略や構造、制度などのハードな側面とのバランスが重要であると説き、これ以降のチェンジマネジメントの流れに影響を与えました。

総じて1990年代以前は、数々の心理学者や経営学者、社会学者が調査・研究を行い、人がいかに変化を受け入れるのか、どのように反応するのかという人間の変化への特性について理解が深まった時代でした。この時代に、変革の成功を理解するためのフレームワークや視点が生まれ、チェンジマネジメントの礎が築き上げられました。

1990年代

1990年代は、チェンジマネジメントのコンセプトやキーワードがビジネスの世界で脚光を浴び、組織変革のアプローチとして定着し始めた時代です。この頃から、「変革において、プロセス、システム、社内ルールなどのハード面への対処だけでは十分でなく、組織文化や変化に対する人の感情・抵抗などソフト面を考慮しなければ、変革はうまくいかない」という考え方が、プロジェクトの現場や経営の場面で適用されるようになりました。現在参照されているチェンジマネジメントの指針の多くが、この時代に形作られました。

ビジネス領域でチェンジマネジメントが普及した背景

日本企業が世界で存在感を示し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた1980年代、日本的経営は高く評価され、欧米企業は日本に倣えと、組織、ビジネスルール、プロセスを抜本的に見直し改革する活動を進めました。それが1990年代に流行ったBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)につながります。しかしながら、各種の調査によると、改革の70%が失敗に終わり、さらに、改革によってモラルの低下、機会損失、リソースの無駄遣いなど、状況を悪化させたという結果が出ています。研究者は、失敗の主な理由は、改革が「人」を無視してきたことに起因し、チェンジマネジメントなしに変革の成功はあり得ないと結論付けています。そのため、多くの企業やコンサルティング会社が、組織変革で活かせるチェンジマネジメントのコンセプト・フレームワークをこの時代に開発し、チェンジマネジメントはビジネス領域で広まりました。その中で代表的なものをご紹介します。

ゼネラル・エレクトリック(GE)

GEは、ビジネスを成功させるためには、変革の成功および継続的に変革し続けることが最重要課題と認識していました。当時のCEOジャック・ウェルチは、そのためにはチェンジマネジメントが不可欠だと考え、シニアリーダーシップチームにチェンジマネジメントのコンセプトをGE全社に導入するためのフレームワーク開発を指揮しました。そして1990年代前半、GEは自社の改革プログラム「Change Acceleration Process」を導入したのです。彼の取り組みは大成功を収め、GEは、このプログラムを活用し、他社の変革活動を支援するコンサルティング事業をスピンオフしました。

トッド・ジック

コロンビアビジネススクールの教授トッド・ジックは、1993年、彼の著書「Managing Change」の中で、様々な変革の事例やコンセプトを紹介し、それらの理論的な裏付けや、変革における共通課題とその対処法について言及しました。

ジニーン・ラマーシュ

チェンジマネジメントの専門家ジニーン・ラマーシュは、1995年、彼女の著書「Changing the Way We Change」の中で、変革プロセスを管理するためのフレームワーク(プロセス・ツール・考え方等)を提示しました。彼女が提示した現状から未来への移行期(Delta)での対処法や、変革推進者の役割(チェンジスポンサー、チェンジエージェント)などの考え方は、その後のチェンジマネジメントフレームワーク構築に示唆を与えてくれました。

ダリル・コナー

組織変革コンサルタント/理論家のダリル・コナーは、1995年、彼の著書「Managing at the Speed of Change」で、1988年、北海の石油生産プラットフォームで大規模な爆発事故が発生した際に、そこで焼け死ぬよりはと、極寒の海へ飛び込んだ労働者の事例を参考に「バーニング・プラットフォーム(燃えさかるプラットフォーム)」という言葉を用いて、組織変革を成功させるためには、変革のドライバーとして「緊迫した状況」を作り出す必要があると説きました。このキーワードは現在でも使われています。

ジョン・コッター

チェンジマネジメントの第一人者であるハーバードビジネススクールの教授ジョン・コッターは、チェンジマネジメントを語るうえで欠かせない存在です。彼は、1996年に出版した著書「企業変革力」で、以下の「変革の8段階プロセス」を提唱しました。

  1. 危機意識(Sense of Urgency)を高める
  2. 変革推進のための連帯チームを築く
  3. ビジョンと戦略を生み出す
  4. 変革のためのビジョンを周知徹底する
  5. 従業員の自発を促す
  6. 短期的成果を実現する
  7. 成果を生かして、さらなる変革を推進する
  8. 新しい方法を企業文化に定着させる

これは、コッターが100社以上の企業を分析する中で出てきた共通のプロセスや変革の際に起きる失敗の要因をまとめたステップで、今も組織変革を推進するリーダーに支持されています。チェンジマネジメントを語るうえで、必ずと言っていいほどあげられるフレームワークです。

スペンサー・ジョンソン

医学博士・心理学者のスペンサー・ジョンソンは、1998年「チーズはどこへ消えた?」を出版しました。この本は、2匹のネズミと2人の小人の物語を通じて、変化によって起こる不安を乗り越えて、変化を受け入れ楽しむことがいかに重要かを説いています。シンプルかつ力強いこの物語は、日本で400万部、全世界で累計2800万部突破し、今なお読まれ続けている世界的ベストセラーです。

このように、1990年代は、チェンジマネジメントというキーワードが、ビジネスの領域で広まり、経営の主流として定着し始めた時代です。この時代に「変革への人の感情」に対処することが、変革においていかに重要かの認知が一気に高まりました。

2000年代以降

2000年代以降は、チェンジマネジメントが、ビジネス領域で確立された時代です。1990年代に定義されたコンセプトや用語を実務に活かすため、特定の人の能力、経験に頼った俗人的なやり方でなく、再現可能なプロセスとツールの構築が進みました。

また、多くの企業は、組織変革は一時的なものではなく、継続的に行うべきものと捉え、自社内にチェンジマネジメント専門の組織を設けるようになりました。チェンジマネジメント専門の役割・職務が一般的になったのも2000年以降です。

今後、新型コロナによる急激な環境変化を受けて、ますますチェンジマネジメントの重要性は高まっています。